【体験記】うつ病からの回復

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うつ病からの回復体験談(前編)

うつ病からの回復体験談(前編)

SPECIAL ARTICLE

著者

著者・矢野雅彦

矢野雅彦

プログラマー、工場勤務などをしながら翻訳の民間資格を取得。副業翻訳者。学生時代に発症したうつ病の後遺症に苦しみ、旅することと書くことで立ち直ってきた。主に建築、庭園、美術館をめぐっている。

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はじめに

筆者は大学生だった1990年代にうつ病を発症しました。何をしても楽しめず、何もしていないのに疲れていて、疲れているのに眠ることができません。学校へも行かず、一日中、悲観的な考えや焦りに取りつかれていました。
その後、薬物療法を始めたことで学校へ通えるまでに改善しましたが、自信も幸福感もなく、意欲も長続きしません。また、就職後にもうつ病が再発し、この病気との付き合いは2010年代まで続きました。

ですが現在では精神が安定し、充実した生活を送っています。

うつ病を罹患しているときには回復のイメージが持ちづらいと思いますが、回復をイメージできることは重要です

本特集ではうつ病の方や身近にうつ病の人がいる方に向けて、筆者のうつ病回復体験談を「前編」「後編」に分けてお届けします。

うつ病を発症した経緯

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まずは、そもそもの初め、筆者がうつ病を発症した当時のことからご説明します。

うつ病を発症した当時の状況

前述のとおり筆者が初めてうつ病を発症したのは大学生の時です。親元を離れ、知り合いが誰もいない遠方の大学に進学。学生宿舎に住むようになりました。17棟、900室以上ある大規模な宿舎です。

そこは深夜でも人の声がする場所でした。建物間のスペースで大声で話す学生がいたり、外で遊んできた学生が騒ぎながら宿舎に戻ってきたり。
もともと寝つきが悪く、リラックスするのが難しい筆者にとっては、あまり好ましくない場所です。

深夜、周囲が静かな中で、人の声がひどく響くように感じられ、いらだって眠れませんでした。筆者がうつ病を発症したのはこのような状況です。

うつ病の初期症状

うつ病を発症したころを思い返すと、一番記憶に残っているのは眠れなかったことです
例えば22時ごろに疲れや眠気を感じてベッドに入っても、結局眠りに落ちたのは朝6時ということもしばしばありました。人の声が気になってリラックスできないまま、23時、24時、深夜1時…と時間が経過。そのうちに、遊んで帰ってきた学生が話しながら宿舎へ戻ってきて、その声にイライラし、また眠れなくなるのです。

こうした不眠とイライラがうつ病の最初の症状で、その後、憂うつな感じとおっくうな感じが増していきました。

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うつ病の治療開始まで

このような症状があったにもかかわらず、最初の1年間は特に治療もせず、症状は悪化する一方でした。

うつ病の治療を開始するまでの心情や行動

症状が悪化することで、やがて学校生活に支障が生じ、それ以外の生活にも変化が出てきました

4月に大学へ入学した後、5月ごろになると意欲の低下、話し声への過敏さなどが混ざって、授業を欠席し始めます。
「今日こそは授業に出席しよう」と思って部屋を出ても、校舎の前で面倒になったり、教室のザワザワ感に耐えられなかったりして自室に戻る、ということが続きました。

常に疲労感があり、おっくうで、特に朝が憂うつ。食事など、普通は楽しいはずのことも楽しめません。読んだものが頭に入らず、うつ病発症前は本が好きだったのに、すっかり読まなくなってしまいました。
また、何もする気が起きない一方で、焦燥感に駆られて無意味に歩き回ったり、自転車で走り回ったりすることもありました。そして疲れ果てて横になるのですが、それで眠れるわけではありません。眠れない時間はずっと、ネガティブな考えが頭に浮かんできます。

ですが、こうした症状に悩まされていることは家族には相談しませんでした。
相談してどうにかなる気がしなかったからです。むしろ家族に知られるといっそう面倒なことになると恐れていました。母親がこれを知ったら「つらいなぁ」「こまったなぁ」と、悲痛な声で大騒ぎし、私がその相手をさせられるだろうということが目に見えていたからです。

そうしてほとんど大学へ行けない状態が続き、1年目の取得単位はわずか3単位。成績不良で退学になると思い絶望しました。

変化があったのは1年生の終わり。大学から連絡があり、事情の説明を求められたのです。「まだ退学が確定したわけではないのだ」と、少しだけ希望が出ました。そして、それまでの経緯を書いた文書を提出してなんとか退学を回避。
同時に大学の保健センターを受診すると、すぐにうつ病と診断されました。診断を受けたときは、なんだかほっとしました

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うつ病の回復に向けて

うつ病の診断を受けた後は、定期的に保健センターに通い、治療を受けるようになりました。

うつ病回復のために行った治療法

うつ病の主な治療は薬物治療です。抗うつ薬に加えて、抗不安薬と睡眠薬を使用しました。

①抗うつ薬

抗うつ薬はうつ病の薬物治療の基本ですが、薬物治療を受ける人のうち、最初の薬で効果が表れるのは全体の約30%台
筆者の場合も最初に処方された薬では効果が得られず、3つ目か4つ目に試した薬で効果が出てきました。

なお、効果があったその薬は第一世代の抗うつ薬で、1990年代としても古い薬です。効くことは効くのですが副作用が強く、口の渇きと眠気に悩まされました。

②抗不安薬

うつ病患者には強迫症状が現れることもあります。筆者もそうでした。
強迫症状とは、例えば強い不安が勝手に生じ、それを和らげるための行動を繰り返すというものです。筆者の場合は、ドアの施錠確認や蛇口の確認を何度も繰り返さずにはいられず、生活に支障をきたしていたため、抗不安薬が処方されました。

ちなみに、抗うつ薬自体にも不安や強迫症状に効果はありますが、抗不安薬の方が即効性に優れています。

③睡眠薬

筆者はとにかく眠れないことが苦痛だったため、そのことを繰り返し訴えると、2種類の睡眠薬が処方されました。
1つは効き目は早いが長続きしないタイプの睡眠薬で、寝つきをよくするために使われるものです。もう1つは効果がやや長く続くもので、途中で目が覚めないために使いました。
ただ、2種類の睡眠薬の併用はあくまでも一時的なもので、すぐに1種類のみになり、うつ病がある程度改善すると睡眠薬は処方されなくなりました。

また、薬物治療以外にも心理療法士によるカウンセリングを受けました。
カウンセリングでは窓に防音ガラスの入った静かな小部屋で、筆者がその時の気持ちや家族のことをボソボソと話します。カウンセラーはときどきうなずいたり相づちを打ったりしながら、余計なことを言わずに話を聞いてくれました。
カウンセリングでは話の内容よりも、静かな環境で自分のペースで話せることが貴重でした
というのも、筆者の家族はこうした場面において、大騒ぎしたり話に割り込んだりする人ばかりだったからです。

うつ病回復のために行った具体的なアクション

うつ病がひどかった急性期に、回復に向けてしていたことと言えば、休養することと薬を飲み続けることでした
薬の副作用は強かったものの、「必ず飲む」と心に決めて飲み続けました。なぜならそれが当時の筆者にとって唯一のできることであり、最後の希望だったからです。

無理に何かしようとせず、休養と服薬だけを心掛けていたのが良かったのでしょう。治療開始から2、3か月でどん底の時期を抜け出し、休養以外にもできることが増えました。
とはいっても「決まった時間に起きる」「部屋を掃除する」「調子のよい日に散歩をする」程度でしたが。

ただ、うつ病の急性期から回復初期にかけては、無理をしないことが何よりも大切だと思います
(※なお、できることが増えてからのアクションについては、後編でお伝えする予定です。)

心と生活の変化

抗うつ薬が効きはじめると、気持ちにも変化が現れました。

最初の大きな変化は焦りが減ったことです。状況はまだ悪かったものの、そのことで悩むよりも「今は治療に専念しよう」と思えるようになりました
また、衝動的な行動が減り、横になってボーっとしている時間も増えたのです。

もう1つ、初期の重要な変化は眠れるようになったこと
眠れないときは何もしていないのに休めていない状態で、毎日が苦痛でした。それが眠れるようになったことで初めて、「何もできないから休む」が可能になったのです。

「焦りが減る」「眠れるようになる」。この2つの点をクリアでき、苦しさが緩和されたことが、うつ病回復初期の大きな変化でした

さらに治療を続けるうちに、身の回りのことを「やってみよう」と思えるようになりました。
例えば、部屋が汚れているのに気づき掃除に手を付ける、といったことです。ただ、まだ気力がないので、あくまでも手を付けるだけ。目立つところだけ掃除して、「これでよし」としていました。

しばらくすると、自室で寝て過ごすことに退屈し、自然と外出する機会が増えました。図書館に通い、笑える本やメンタルヘルスの本を読むことも。
このころは、興味や楽しみが少し復活した時期といえるでしょう。

ですが、この時期でもまだ疲れやすく、長時間の活動はできません。ある日は意欲があるけれど、次の日になるとどんよりしているなど、3歩進んで2歩さがる状況です。急性期と比べればよくなったと感じますが、未来への展望はありません。

それでも少しずつ、状況は改善していきました。活動できる時間が次第に長くなり、買い物、掃除、洗濯など、うつ病発症前のルーチンが無理なくできるようになったのです。

そして、治療を始めて約半年。筆者は大学への登校を再開できるまでに回復しました。
久しぶりの教室にきょろきょろしながら、なるべく静かそうな席へ。腰を下ろし、大きく息を吸って、心の中でつぶやきました。

「あぁ、帰って来た」と。

その後、筆者は医師の言いつけを守って抗うつ薬を飲み続け、副作用の眠気に耐えながらも学業とアルバイトを行い、入学から5年で大学を卒業することができました。その時には、抗うつ薬をやめる許可も出ていました。

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コラム:
うつ病と聴覚過敏

聴覚過敏とは、普通であれば何でもない音が気になってイライラしたり、音に過剰反応したりする症状のことです。
聴覚過敏の人がうつ病になることもあれば、うつ病になってから聴覚過敏の症状が出ることもあります。対象になる音の種類は人によって異なり、広い範囲の音が気になる人もいれば、特定の音が気になる人もいます。

筆者の場合、人の声全般がストレス源でした。自室にいれば壁越しに聞こえる隣室の声が不快、買い物に行けば人ごみのザワザワした感じが不快、母と電話で話をすれば心配そうな声が不快・・・といった感じです。
そのなかで、保健センターの医師と心理療法士の声だけは不快ではありませんでした。

うつ病に限らず、心の問題を抱える人が音に敏感なのはよくあることです
そのため、敏感な人にストレスを与えないよう、心理療法士は話し方を訓練しています。うまいと言われる心理療法士のカウンセリング風景をビデオで見たことがありますが、その方はそもそもあまり自分からは話さず、話すときも常に淡々とした声で話していました。
怒鳴ったりしないのはもちろんですが、熱心に同意するわけでもなく、つらそうにして共感をアピールすることもありません。一見気のないように思えますが、これぐらいが良いそうです。

身近にうつ病の人がいる方は、もしできれば、おだやかな、なんでもないような声で話してみてください。もちろん周囲の方も苦しく、疲れている場合もあるので、いつもできるわけではありませんが、できるときはそうしてほしいと思います。

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まとめ

今回の「うつ病からの回復体験談(前編)」では、うつ病の発症から急性期を乗り切るまでの筆者の体験談を、薬物治療と回復の過程を中心にお伝えしました。

「前編」にあたる本特集でお伝えしたかったことは2つあります。
1つは、回復の兆候や段階など、うつ病の回復過程のイメージ。筆者がうつ病を罹患している時には回復のイメージが持てず、自分の位置や将来の見通しが分かりませんでした。そのため、回復過程を伝えることで、誰かの役に立つかもしれないと考えたのです。

もう1つは、周囲の人たちが落ち着いていることの大切さ。身近にうつ病の人がいても、周囲の人たちが一緒に苦しむ必要はありません。むしろ、周囲にいる人たちが余裕を失うとよくない場合があります。その例として、聴覚過敏と声の問題を紹介しました。

さて、薬物治療と休養である程度はうつ病を回復した筆者ですが、ここで治療が終わりではありません。もう一段、症状を改善して生活を充実させるためには、考え方を変えたりトレーニングをしたりと、筆者自身の取り組みが必要でした。
これらについては「後編」の特集でお伝えします。

現在うつ病で苦しんでいる方や、身近にうつ病の人がいる方に、本特集が何らかの助けになれば幸いです。

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