子供なし・40代女性の離婚体験記(前編)
SPECIAL ARTICLE
はじめに
筆者は、2022年に40代後半で離婚をしました。離婚を決意した理由は、「これ以上努力をしても、結婚生活を続けることは難しい」という結論に至ったためです。
実は結婚をするまでも、「正直な話し合いが難しい」と感じたり、「考え方が合わない」と思ったりすることは度々ありました。
それでも「好きだから一緒にいたい」という気持ちが勝り、籍を入れたのですが、結婚前に感じていた違和感はぬぐえないままだったのです。
見て見ぬふりをしていた違和感。それが少しずつ二人の間の溝を広げていたことが、離婚へとつながったのではないかと感じています。
筆者の経験上、結婚よりも離婚の方が、決断するまでに心が揺れたのは事実です。離婚を決めるまでの数か月間は、色々な思いや感情が湧いては消えていく怒涛の日々で、正直、心の休まるときがありませんでした。
ですが、離婚をして1年が経つ現在、「離婚もまた、新たな人生のスタートである」と感じています。そういう意味では、「結婚」も「離婚」も等しく、人生の節目の1つといえるでしょう。
本記事では、筆者と同じように子供なし・40代女性で離婚を迷っている方が「前向きな選択」をできるよう、筆者の離婚前・離婚後の体験記を「前編」と「後編」に分けてお届けします。
子供なし・40代女性の離婚体験記 その1
離婚を考え始めたきっかけ ―夫婦間の問題・相違点
まず、筆者が離婚を考え始めたきっかけ、夫婦間の問題や相違点などについてお伝えします。
譲れない部分で意見が合わない
すべての事において意見が合うことはありません。ですが、お互いの意見の違いを尊重できれば、良い夫婦関係は持続できるでしょう。
その点、元配偶者と筆者の場合、自分たちの中で譲れない部分において意見が合わず、かつお互いの意見を尊重できなかったことが、2人の溝を深める原因の一つだったように思います。
例えば、元配偶者はどちらかというと古風な家庭の出身で、「女性は男性の3歩下がって歩き、男性の意見に従うもの」という考えでした。家族も女性は母親のみで、父親、元配偶者、弟という家族構成。
一方、筆者は女系家族の出身で、三姉妹の三女。歳の離れた姉二人が勝気だったこともあり、筆者も自分の意見を持ち、強い女性であるよう育てられました。そのため、元配偶者の意見に、そのまま従うことに違和感があったのです。
もちろん、どちらが正しい、間違っている、ということではありません。問題は、いわば自分たちのアイデンティティに関わる譲れない部分において、お互いが理解しようとせず、妥協できなかったことでした。
「理解しあえない」というあきらめ
「自分にとって譲れない部分」というのは、「自分にとって大事な部分」ともいえます。
そうした大事な部分において、お互いに歩み寄れなかった結果、いつしか筆者のなかに「私たちはどうせ理解しあえない」というあきらめが徐々に広がり、自分の考えを伝えることをやめてしまいました。
また、筆者が元配偶者とは異なる意見を伝えると、彼の機嫌が悪くなることもあり、自由に自分の思いや、感情を言うことが怖くなったのもありました。
自分の素を出せないということは、常に自分に嘘をついているということ。
元配偶者も、彼なりに筆者を大切にしてくれていたと思います。
ですが、筆者は自分自身でも気づかないうちに、少しずつ結婚生活に息苦しさを感じていたのです。
離れた間に起こった決定的な出来事
結婚生活に息苦しさを感じていたのは、当時暮らしていた土地が肌に合わなかったこともありました。元配偶者の生まれ育った土地に慣れよう、好きになろうと努力はしましたが、子供がいなかったこともあり、ご近所との付き合いが生まれにくかったのも原因の1つかもしれません。
自分が感じている違和感や息苦しさ、夫婦間の溝に気づきたくなかった筆者。そのひずみが、次第に体調に現れるようになりました。
もともと肌が弱く、アトピー持ちではありましたが、結婚前はアトピーの症状は落ち着いており、ほぼ肌に出ることはありませんでした。ところが、結婚をしてから、アトピーの症状が再発。
薬で症状を落ち着け、なんとか日々をやり過ごしていましたが、ある日、とうとう無視できないできごとが起こってしまいます。
電車の中で突然、息ができなくなったのです。
この出来事をきっかけに、「あなたのことは愛しているし、離婚する気持ちはない。ただ、自分の育った東京で、しばらく暮らしたい」と元配偶者に頭を下げて頼み、当時暮らしていた地方から、東京にしばらく戻らせてもらうことにしました。
東京で暮らし始めてからは、アトピーが出ることも、息ができなくなることもなくなりました。
元配偶者のもとには、1か月~2か月のペースで帰省していました。また、しばらくしたら戻ることを約束していましたが、元配偶者も色々と思うところがあったのだと思います。
離れている間に彼が「彼女」を作り、二人の溝は決定的なものになりました。
子供なし・40代女性の離婚体験記 その2
離婚を決断するまで
「離婚」の決断をするまでに、迷わない方は少ないでしょう。
実は筆者も、決定的な出来事があったからといって、すぐに離婚の選択ができたわけではありませんでした。
この章では、離婚を決断するまでに筆者が感じた葛藤や、どのように気持ちを整え、心を決めたのかをご説明します。
夫婦関係の再構築か離婚かで迷う
夫婦関係が再構築できるのであれば、それに越したことはないと思います。
ただ、夫婦関係の再構築は一人ではできません。配偶者と自分の、関係再構築への熱量が同じでないと難しいのです。
筆者も最初は関係の再構築を考えました。
元配偶者と何回も話し合い、夫婦関係を再構築するためのカウンセリング等も受けましたが、私たちの状況では「夫婦関係の再構築は難しい」ということを次第に理解し始めました。
ですが、だからといって、心がすぐにに「離婚」を受け入れたわけではありません。頭では「関係の再構築は難しい」と分かっていても、心がいうことをきいてくれない。
どちらに行っても「行き止まり」のような状況に、筆者は悩まされることになります。
「情」が決断を鈍らせる
離婚を決断する上で、筆者が一番厄介と感じたのは、「情」でした。
お互いに不満や思うところがあったとはいえ、20年弱の期間を一緒に過ごしてきた家族なわけです。そこには家族としての「情」があり、その情を断ち切る決断をするのは、容易なことではありませんでした。
そして、家族というのは元配偶者だけではありません。元配偶者の両親には大変良くしてもらい、関係の再構築を応援してくれたいたにも関わらず、離婚を選択することが彼らの期待を裏切るようで、いたたまれない気持ちでした。
「離婚」を決断するまでにしたこと
では最終的に、筆者はどのようにして「離婚」を決断したのでしょうか。以下では、筆者が離婚を決断するまでにした5つのことをご紹介します。
①自分の気持ちを書き出す
自分の気持ちを正直に、ありのまま書き出すという作業をできるだけ行いました。
夫婦関係の再構築か離婚かでせめぎあう思考。
書くことは、思考に埋もれて見えなくなっていた自分の心をクリアにし、決断することを助けてくれます。
筆者は「書く」という作業中に、「人生にはどれだけ努力をしても、ままならないことがあるのだ」と、夫婦関係の終わりを悟った瞬間がありました。
②カウンセリングを受ける
筆者は40代後半。仕事はしていましたが派遣社員で正社員ではなく、恥ずかしながら貯金も雀の涙ほどしかありませんでした。
離婚をするということは、一人で生きていくと決断することでもあります。「情」を断ち切れない心とともに、自分が自立して生きていけるかどうかの自信が持てず、人生の変化に対する恐れと不安も感じていました。
そのため、カウンセリングを受け、自分の恐れや不安に向き合う時間を作ることに。
カウンセリングの良い点は、こちらの言うことに耳を傾けて気づきを促し、自分の決断を助けてくれるところです。
決断をするのは、あくまでも自分自身。自分が気づくことで、納得のいく決断にたどり着けたと思います。
③信頼できる家族・友人に応援してもらう
筆者の離婚はどちらか一方に非があるのではなく、両方に反省すべき点があったと思います。
しかしながら、それを前提としつつも、100%自分の味方になって応援し、励ましてくれる家族や友人は大変ありがたい存在でした。
家族や友人の応援のおかげで、自分の自信のなさや不安、恐れに負けず、離婚を選択できたことも大きかったといえます。
④自分の心に栄養を与える
離婚を決断するまでの数か月間は、心の休まらない毎日でした。考えないようにしていても、どうしても様々な思いが生まれてしまいます。
あまり眠ることもできず、ただ夜が明けるのを待った日もありました。
ですが、心が決まらない不安定な日々だからこそ、映画館に映画を観に行ったり、美術館を訪れたり、日帰りで旅行をしたりと、自分の心に栄養を与えるようにしていました。
それはいわば、何も考えない「空白の時間」を作ること。そして、その「空白の時間」が、早く決断をして楽になりたいと焦る気持ちを落ち着かせてくれたのだと思います。
⑤1年後の自分を思い浮かべる
いくら心が揺れていても、生活は普通に送らなければなりません。仕事はもちろん、食事の用意や掃除洗濯など、日々やるべきことがあります。
そうした時、筆者は1年後の自分を思い浮かべて乗り切っていました。
「この辛い時間も、1年後にはすべて終わっているだろう」
そう考えると不思議なことに、まるで未来から現在を振り返っているかのような気持ちになり、少し穏やかになれました。
子供がいないことが離婚への決断にどう影響したか
元配偶者と筆者は、結婚をしてから話し合い、子供は持たない選択をしました。お互い、子供を持ちたいという気持ちが薄かったからですが、離婚を決断するにあたり、子供がいなかったことは、離婚を後押ししたように思います。
筆者は、元配偶者に彼女がいることが判明した6月から4か月後の10月に離婚届けを提出しました。
筆者の担当カウンセラーの先生によると、「離婚は多くの人が2年、早くても1年はかかる」とのこと。そのため、筆者の決断は相当早かったとカウンセラーの先生にいわれました。
そうした意味でも、子供のいなかった状況は、やはり筆者の決断を早めてくれた一つの要因だったといえるでしょう。
その反面、「子はかすがい」という言葉のとおり、子供がいればお互い子供のことを一番に考え、もっと色々と話し合い、お互いを理解しようとしていたかもしれません。その結果、そもそも離婚を考えることすらなかったかもしれない…とも思います。
まとめ
子供なし・40代女性の離婚体験記(前編)はいかがでしたか。
筆者がこの体験記を書こうと思った理由は、一口に「離婚」といっても、人それぞれ状況は異なり、体験してきたことも違うと感じたからです。
離婚するまでのプロセスが穏やかで感情の起伏が少ない方や、激しいアップダウンを経験された方、年代も様々ですし、子供のいる方・いない方もいるでしょう。
また、筆者が離婚を迷っていた時にインターネットで離婚について調べてみると、「離婚のハウツー情報」が多かったのに対し、筆者が一番知りたかった「決断方法」や「渦中の気持ち」に関しては情報が少なかったこともあります。
そのため、「自分と同じ、子供なし・40代の女性向けに自分の離婚体験記を書いたら、今、離婚を迷われている方の役に立てるかもしれない」と考えたからでした。
今回の子供なし・40代女性の離婚体験記(前編)では、実際に離婚を経験した筆者が、離婚を考え始めたきっかけや、離婚に対する葛藤、決断に至るまでのプロセスをご紹介しました。続く(後編)では、実際に離婚届けを出すまでのプロセスや、離婚後の生活などをお伝えする予定です。
本特集が、皆さんの「前向きな選択」のお役に立てれば嬉しいです。